現時点で人生最大の勝負にお付き合いいただけませんか?

平素は格別に私とのアホな会話や難しい考察にお付き合いいただき、ありがとうございます。

株式会社BRHT(ブルート)は2007年に『ぶる~と整骨院』を開業し、『喫茶アミー』を吸収して創業しました。

キッカケは、所属しているマネジメント事務所と関連のある会社が、現役プロアスリートが経営する整骨院のビジネスモデルを作りたいという企画から。

「金銭的なリスクはすべて佐藤くんだけどやってみる?」

「はい、やってみます」

K-1MAX日本トーナメントの優勝賞金で、満額借りていた大学の奨学金を全額返済していたところでした。現金があまりなかったので、借金して創業しました。

良いことも悪いこともたくさん起こりながら、その度に反省・検証を繰り返し経営を続けました。

誰に教えてもらえるものでもないので、図書館に行ったり、新書を買ったりして、移動時間には努めて経営の勉強を重ねました。

でも、一番勉強になったのは、経営者の諸先輩方と食事をしたりして、バカ話の中にもその思想や姿勢を感じ取れたこと。

ステキな人と出会える縁というのは、本当に大事です。

2011年に、キックボクシングに特化したフィットネス、略してキックフィットを駆使したジム『名古屋JKF(ジャパンキックボクシングフィットネス)』を新瑞橋にて開業しました。

キッカケは今でもお世話になっている大社長からの一言。

「あらたまがいいんじゃない?」

「わかりました。そうします」

2013年に存続の危機に陥っていたぶる~と整骨院は鍼灸院としての申請も通り、業務拡大に成功。

自分の姿勢も一新し、毎月2000部のポスティングをやることに決めました。

それから2年超、どんなに忙しくても「絶対に」配り続けています。

ぶる~と最後のビジネスパートナーと決めている有我(ありが)院長、小俣(おまた)先生とも出会いました。

講談社から作家としてデビューしたり、『#辞書の旅』も始めたり、自分にとってキックボクサー以外の個性を持つキッカケになった年でもあります。

2015年にプロキックボクサーとして引退し、経営者として本格的に始動しました。

いろいろなトラブルにも見舞われながら、経営に集中したり人と会って勉強させてもらえる分、業績はどんどん上がりました。

武田邦彦先生主宰の『情報の会』で好評価を得た講演をキッカケに、いろいろなところでキックボクシングを広める機会にも恵まれています。

2016年からはJKFにワンオペで入るようになりました。

前任者の竹村は、掃除をしっかりやってくれて評判だったので、「絶対に」「前より汚くなった」と言われないよう掃除を徹底して行いました。

トイレもブラシを使わずに丁寧に磨いています。

「いっぱいお客さんが来ますように」と口に出して。

本当に不思議な話なのですが、トイレ掃除を張り切ってやったときには問い合わせが増えました。

超常的な力ってやっぱりあるんですよね。

ええ、頭イカれてると思ってもらって構いません。

「あなた、超常的な力を信じなきゃダメだよ!」

と押しつけることは決してないから安心してください。

正直、JKFはトイレ用のスリッパも置いてあるのですが、素足でも汚くありません。

それこそトイレで寝ても問題ないくらい毎日綺麗にしています。住めます。

引退してからというもの、待ってました、と言わんばかりに(本当にありがたい限りです)多方面から仕事をいただいている状態で、さらに経営もあり、スケジュール的にかなり厳しいものがありました。

無理を言って財閥系大企業で働くルパン高橋先輩や同期の仲間や後輩たちやキックとは全然関係ないweb屋にも「受付に座ってるだけでいいから」と助っ人に来てほしいと頭を下げました。

皆さんそれぞれ、渋々だったり、快くだったり、協力してくれました。

感謝しています。

ジムの営業終わりに一人でマットを雑巾で拭いているときでした。

「ちょっとキツイなあ」と呟いたら思わず涙がこぼれたことがあります。

しかしその辛さは、絶対に表には出さないように努めていました。

「現役時代の地獄に比べたらなんのこれしき。がんばってがんばって、がんばり抜いてやる!」

と誰もいないジムで気合いを入れました。

会員さまから嬉しい言葉をいただいたことも。

「マネジャーも疲れていたり辛いときあったはずですよね。だけど、絶対に態度に出さずにみんなに対して平等に接しているのを見て立派だなあって」

がんばっている姿って、誰かがきっと見ていてくれてるものなんですね。

私は鈍感なので、人の細かい努力を見つけられないのですが、こういう風に気づいてくれたこと、とても嬉しかったです。ありがとうございます。

当初、ジムの社員は身内で固めるという方針でした。

人柄としても素晴らしい後輩や、転勤を機に退職を考えジムの手伝いもしてくれていた会員さまをリクルートしたこともあるのですが、そのときはタイミングが合わず、雇用には至りませんでした。

そこで思い切って方針を変え、「右腕募集」をあまり期待せずにSNSでしたところ、なんと何人もの応募があったのです!

会員さまの新瑞橋のサーフショップのオリジナルビーサン1500円!

その中の一人が、昨年消防士を退職してJKFに気合を入れて就職してくれた渡邉インストラクターです。

人見知りの部分もあり、まだ初対面の人の前では緊張して顔が強張ってしまうところもあるものの、私の「右腕になりたい!」と手を挙げてくれたのです。

きっと必ずや、人として大きく成長しジムを支えてくれることでしょう。

「一時は死ぬことも考えていたのに、佐藤さんに人生を救われました」と忠誠を誓ってくれています。

私にできることは、「消防士を辞め、JKFに転職してよかったなあ」と彼が死ぬときに納得してもらえるよう尽力することです。

そして応募があった中で、もう一人採用することになりました。

浅野準インストラクターです。

「自分の人生を変えるのはこのタイミングしかないと思って応募しました。掃除だけでもいいのでやらせてください!」

ちなみに彼は今、ここでチャレンジブログというものを週1くらいで書いてくれています。

私は本当は掃除が大嫌いなんです。しかも一度は泣くほど(笑)

「佐藤さんを影から少しでも支えたい」と彼は言ってくれますが、掃除だけでもどれだけ助かったことか。

ただし、ここで自分が掃除をやっていて本当によかったと思うことがあります。

それは、ただなんとなく「綺麗にしといて」と頼むのではなく、「ココとココは特に気をつけてやってください。そしてココとココは週替わりにお願いします」と、自分が隅々まで掃除しておいたおかげで、具体的に指示することができたんですね。

ただなんとなくの指示だと、人間は弱いですからすぐにサボり出します。

でも、具体的な指示があることで手を抜きにくい環境にすることができるのです。

浅野準インストラクターのおかげで、現在の名古屋JKFの清潔さは保たれています。

私の負担は、渡邉インストラクターと浅野準インストラクターのおかげで本当に減りました。ありがとう。

ちなみに二人とも、私の『#辞書の旅』を見て、私の根気強さに感銘してくれていたらしいです。

『#辞書の旅』が雇用にもプラスになるとは!

『#辞書の旅』をやり続けていて、一番嬉しかったことは雇用面かもしれません。

自分が中心に入るようになって、私と合わない方は残念ながら退会されましたが、それ以上に入会者数はうなぎ上りに増えました。

たった1年で年間の売上が600万円以上増えたのだから、なかなかのものでしょう?

嬉しかったのは退会者数が一際減ったことです。

ちなみに今月は、現時点ではまだ0人です(これはスポーツジムとしてはマジですごいことなんです)!

昨年秋、連日満員が続く中、ジムの拡大について声をかけてくれる会員さまが何人もいました。
そのタイミングで不動産会社に勤める会員さまに冗談交じりに頼んでみたところ、知り合いの会社に早速頼んでくれて、翌日にはオススメの候補地を何件も持ってきてくれたのです。

そして同じ頃、「右腕募集ってまだしています?」と声をかけてくれたのが、財閥系大企業に勤めるルパン高橋インストラクター。

「右腕は渡邉さんがいますが、左腕は空いています」という気持ちを込めて、

「ただし、1店舗にメインインストラクターは2名いらないので、拡大を前提としたならば、です」

とサウスポーの先輩に伝えました。

この時期、今年急逝された大杉漣さんとドラマのチョイ役で共演する機会に恵まれたものの、初めてのドラマ出演では(当然ながら)うまく出来ずに挫折感いっぱいでした。

ロケ地からトボトボと落ち込んで帰る途中、なんかこのまま家に帰るのも忍びないなあ、とカバンに入っていた物件のファイルを取り出して「気分転換にちょっと見に行ってみようかな」と、本山、星ヶ丘、池下の順で回りました。

そこで、私は池下の物件にビビッと来てしまったんです。

「ココでやったら絶対に流行る」

まったく根拠のない自信です。

しかし根拠はありませんが、その直感は自分が今まで積み重ねてきた努力・勉強・経験の結晶です。

私は、自分を信じているのです。

あとは理由は後付けでペタペタと貼り付けていくんです。

「こういう理由だから流行る、こういう場所だから流行る」と。

もう一件、今池もあったのですが、自分はこの池下の物件に惚れ込んだので見に行きませんでした。

やるならココしかない。

もう一人社員候補が手を挙げてくれて、さらにビビッと来た物件が見つかった。

これは天命だと。

すぐに申し込みをして、公私共々の工事を一手に引き受けてくれている益戸装飾にも連絡して見てもらいました。

「佐藤くん、これは勝ち戦ですよ!いい物件です!」

一つ年上の親方にこう言われて私も勇気づけられました。

ただし、この時点で他店舗と競合していて、大家さんがどちらを選ぶかという状況なのでした。
つまり、せっかく作ってくれた見積もりは徒労に終わる可能性も。
親方はその見積もり書を、神社で願掛けまでして渡しに来てくれました。

私も、大家さんに自分のことを知ってもらおうとぶる~と通信や資料などを渡しました。

真面目に働いて、ちゃんと家賃を払います、という姿勢を見てもらいたくて。

そうしたことも功を奏し、条件的には劣っていた私の方を、大家さんは選んでくれました。

そのあとは金融機関から2400万円もの大金をかき集め、無事4月1日から物件の着工が始まりました。

もともとは個室居酒屋だったので、解体作業から高くつきました。

当初の予定額はなんと400万円!!

しかし、JKFの会員システム管理を依頼している青森の友人、佐々木さんがうまく手配してくれたのと、益戸装飾の協力で半額にできました。

もうほんと、ご縁に感謝としかいいようがない。

職人たちの連日の徹夜作業には本当に頭が下がります。

とにかくみんな、めちゃくちゃ気合いを入れてジムを作ってくれています。

私も新瑞橋での反省とノウハウの積み重ねをすべてJKF池下に注ぎ込みました。

週に何度も池下に通って、益戸装飾と意見をすり合わせながら、会員さまにとって動きやすい環境、スタッフたちにとって働きやすい環境を目指しました。

すべて手作りです。

床もマットも何もかも、目で見て確かめた上での人任せです。

自分が責任を持ち、職人が魂込めて作り上げてくれました。

「気」というものを私は信じています。

「よっしゃ、いいもの作ったるぞ!」という気持ちで工事してくれた現場からは、いい「気」が宿っている。

私も2400万円も借金して、失敗したら死んでお詫びしようかという覚悟を持って取り組んでいる。

気概が違います。

しかしながら気合いは入れつつも、表向きはどこか気が抜けて楽になってもらえるように、脱力感満載で運営していきます。

池下の看板は完全オリジナルデザインです。

新瑞橋のときは後輩の看板屋にイメージだけを伝えて任せました。

あのときは自分にスキルがなかったのです。

7年経って日々の努力でイラストレーターのスキルも向上し、仮看板、本看板を作ることができた。

写真はオープンまでの仮の看板です。大当たりしました

ちなみにトップにあるブアカーオvs佐藤嘉洋の使用を、カメラマンの佐久間立秋さんから快く許可していただき、更に大きな看板に耐えうるように、いい具合に加工までしていただきました。ありがとうございます。

個性を爆発させた看板です。

私佐藤嘉洋にしかできない、他の誰にも真似できない看板です。

完成をお楽しみに。

新瑞橋の名古屋JKF、JKF池下共に、ジムは行き来自由です。

ちなみに今回、新店舗ができるわけですが、これは名古屋JKFの会員さまが、キックボクシングに特化したフィットネスを継続して楽しんでいただいているおかげです。

物件としてのレベルは、新瑞橋よりも池下の方が上です。

しかし、キックボクシングフィットネスの礎を2011年から作ったのは、間違いなく新瑞橋の名古屋JKFなのです!

 

引き続き名古屋JKFも、これからはJKF池下も明るく楽しい気持ちで運営して参ります!

池下や今池、覚王山、ちょっとがんばって本山近辺の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!!

キックボクシングで名古屋から日本を元気に!!

仲の良い友人から先日言われました。

「ちょっとピリピリしてるね」
「そう? ちょっと緊張してるかもね」
「そりゃそうだよね」
「人生最大の勝負だからね。でも、俺は絶対に勝つよ。絶対に」
「ひゅー、引退してもカッコいいねえ」

最初は少人数だった飲み会も
会を追うごとに盛り上がりを見せ
話すのが好きな人も、おとなしい人も楽しく
既存の会員さまが気を利かせてくれるのが有難いです
新瑞橋と池下の合同飲み会も楽しみですね!

昨年から始めたジムの飲み会も、回を追うごとに人数も増えました。
入会初月の方でも気軽に参加できて楽しめるように既存の会員さまが気を利かせてくれるのも大きいでしょう。
とても嬉しいです。ありがとうございます。

邪魔だ、どけ、俺の人生だ!
でももしよかったら、一緒にどうですか?

明るく生こまい
佐藤嘉洋

この記事を書いた人