人に「ありがとう」と言われることを期待して行動に移さないこと。
自分がやりたいからやる、という姿勢でいれば恩着せがましくなることもなくなる。
とはいっても人間は弱い生き物なので、努めてそういう精神でいることを心がけなければならない。
そうやって生きていけば、人生を生きていく中で嫌いになって疎遠になる人を少しは減らすことができるのではないか。
「あの野郎、こっちがせっかく施してやったのに礼の一つもよこさないなんて、けしからんヤツだ」
「ありがとう」を期待した心にもない「おめでとう」は、私には必要ないのである。
だから私は、SNSで誕生日の表記を消すことにした。
SNSで表記されなければわからない誕生日なんて祝われなくて構わない。
相手が「おめでとう」と祝してくれて、自分が「ありがとうございます」と返すのをうっかり忘れてしまうと相手にムッとされてしまう。
それなら最初から消してしまえ、と。
「のちほど一件一件返信させてもらいます」とよく見かけるが、祝ってもらっているのにどうして少々辛い(面倒くさい)思いをしなければならないのだろうかと、ふと思う。
私にとって「人間にとって成熟とは何か」を答えるなら、こう答える。
人間にとって成熟とは、見返りを期待しないこと。
著者は敬虔なクリスチャンなので、「きっと神が見てくれている」という心持ちで、人に見返りを期待しないことにある程度成功しているようだ。
私は超人を目指している。
神が見ていなくても見返りを求めない境地を、なかなか難しいことではなるが、目指したい。
私が誰かに何かを施すときは、見返りを期待しないよう施した瞬間に忘れることにしている。
だから余裕のある範囲でしかやらない。やれない。
無理をすれば見返りを期待してしまう。
改めて運良くお礼を言われたら、それはそれで嬉しい。
「とんでもないです」と有り難く感謝したい。
言われないなら言われないで、忘れているのだから何の問題もなく、ケチくさい感情を抱くこともない。
けしからんのは、パイだけでいい。
明るく生こまい
佐藤嘉洋