中島義道著『ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白』

筆者の中島義道さんは、自分以外を愛することのできない人らしい。
かといって独身を貫いたわけでもない。
童貞なわけでもない。
むしろかなりモテていた様子。

「愛」について考えてみた

例えば、私は男で女性が好きなのだが、1ミリも愛のない状態で、果たしてベッドインできるのであろうか。
よしんばベッドインしたところで、ジュニアはちゃんと活躍してくれるのだろうか。
そこらへんに素朴な疑問が浮かんできたので、「愛」について少々考えてみた。

筆者の「人を愛することができない」は、「誰かを愛している自分を愛しているだけ」という精神構造か。
大好きな自分というフィルターを通して誰かを愛しているつもり。
つまり、恋に恋している状態である。
となると、「誰も愛せない筆者は異常者」ということにもなろうが、それを「恋に恋している」という言葉に置き換えてみると、筆者に共感する人は案外と多いかもしれない。
私にもそういった節はある。

人並みに恋愛しておかなくちゃ、とか、年相応に所帯も持たなくちゃ、とか、これだけモテて賞賛されたい、などなどの理由から、人を愛し始めた(つもりの)恋愛もあるだろう。
世の恋愛には、このような世間体重視の「愛」も多くあるように伺える。

打算的な愛

無論、全員が全員、純粋な「愛」のみで人生を過ごせる確率はかなり低いのではないか。
誰にでも「愛」に対して打算的な部分はあるだろう。
この本はその極端な例なのかもしれない。

筆者は、妻も家族も、これまでの恋人も愛することのできなかった人間のようだ。
しかし私は、そこかしこに筆者の息子への「愛」を感じた。
人を愛することをあきらめた、というようなことも書かれていたけれど、本中には「あきらめた希望=いつかは人を愛せるようになりたい」が散りばめられている気がする。
ただし、筆者の考える理想的な愛の実現は、かなり難しいだろう。
なぜなら、私を含め、おそらくかなり多くの人が、「自分に内在する欺瞞に満ちた打算的な愛」に、見て見ぬ振りをしているからだ。

果たして自分は、真に人を愛することができているのだろうか。
この本を読んで、「私は人を愛している」と胸を張って言う自信が少しなくなった。

「愛」について、私はもっと考えなくてはならない。

愛…個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情。

新明解国語辞典第七版

明るく生こまい
佐藤嘉洋

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2021.2.15 22:15~ 「愛」と「恋」について完璧に語る20分
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