映画『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方』

映画というのは、他人の人生や考えを学べる。今回は自分とは縁遠かった葬儀社のことを学べた。

昔は葬儀に支払う金額すら聞きづらい時代だったが、今は明朗会計のところも多い。坊主が足元を見て、暴利をむさぼることも少なくなった。時代も少しずつ変わってきた。これからもっと変わっていくだろう。

命を扱う職業は、昔から忌み嫌われていた。差別にも繋がった。根本的に人間は、命を殺したという事実を認めたがらない。命を殺して自分が生かされている殺生から目を背け、他者に死を押しつけ、差別する。なんと傲慢な生き物か。

劇中で、夫婦が結婚50周年の金婚式を挙げていた。主催は葬儀社。

個人的には、金婚式は葬儀社が積極的に参入すべきではないかと感じた。この行事を慣例化すれば、葬儀社にとって大きなビジネスチャンスとなるだろう。金婚式で満足してもらえれば、葬儀の際もついでに頼んでもらえる可能性が高くなる。

死んでからでは、生きている人に直接言葉をかけることはできない。もしかしたら、枕元に立つことはできるかもしれない。しかし、生きている次元が違う。こちら側の人たちからは、怖がられる可能性も高い。だから、金婚式で生涯の友人知人を集められれば、とりあえずは一足先にお別れの挨拶ができる。

死の間際の姿より、ピンピンしている頃のイメージで終わらせたい。その方が残された人たちも、少しは明るい気持ちになれるのではないか。死は、絶対的な不幸ではない。

独身者は、金婚式の代わりに77歳の喜寿祝いを行えばよい。これからの時代、医学はますます発達し、キックボクシングなどによる健康維持で、私たちの世代は77歳なら、多くの人がピンピンしていることだろう。

私は家庭を顧みていなかった

私は14歳から34歳まで、名古屋JKファクトリーでキックボクシング一筋。小森会長は、自分の父親よりも長い時間接した育ての親でもある。

現役を引退したことにより、親離れと定年退職を一緒にした気持ちになった。34歳から、まさに第二の人生が始まったのである。だから私は、橋爪功演じる主人公の気持ちがよくわかった。

若いうちに苦労を重ねたおかげで、会社勤めの人より30年も早く、隠居生活の気分を味わえた。友人知人からは「仙人みたいな思想だな」とよくからかわれる。

2年前に妻が倒れた

それまでの私は、家庭をあまり顧みていなかった。倒れたときに、妻の存在の大きさを知った。それから少し顧みるようになった。傲慢な人でも反省はできる。

コロナ禍になり、とても綺麗好きになった。それに付随して、家事も手伝うようになった。特に皿洗いに目覚めた。良い習慣である。皿洗いは一生続けよう、と今は思っている。

命乞い

夫婦は、どちらが優位ということもない。互いに尊重し合って一生を添い遂げられたらいい。しかし、数年前まで家庭を顧みてこなかった私は、いつか3年殺し、5年殺しに遭っても、まあ受け入れるしかなかろう。

その前の元気なうちに、生涯の友人知人に、今生でのお別れの挨拶をしておきたいものだ。

PS
反省して行動に移しているのだから、どうか50年殺し計画に変更していただけたら幸いである。
皿洗いごときで威張るな、と言われそうだが。

明るく生こまい
佐藤嘉洋