アラン・ドロン 出演『若者のすべて』1986

アラン・ドロンという超絶イケメンを見たことがありますか?

武田邦彦先生のご縁で知り合った川崎の友人から送ってもらったDVDを鑑賞。

本社住所の『ぶるーと整体院』に届いたのだけれど、受付をしている私の母親に

「わあ! アラン・ドロンじゃない。久しぶりに見たいわ。ちょっと先に貸してよ」

と有無を言わさずに奪われてしまった。年老いた母親の乙女心でさえも鷲掴みにしたアラン・ドロン、只者ではない。

ううむ、たしかにとんでもないイケメンである。

私の記憶の中のイケメンは、レオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットあたりが最初だ。そのあとにジェームス・ディーンやアラン・ドロンの存在も知ったが、リアルタイムではない。

現代でも全く引けを取らないこのようなイケメンが白黒時代の映画に出てきたら、当時1960年代の日本では卒倒する女性も相次いだことが予想される。

私の恋愛対象は女性だけれど、アラン・ドロンのイケメンっぷりは、男性の私からしてもため息の出るほどであった。

「もしかしたら、親知らずを4本全部抜いたことで自分の顔がアラン・ドロンみたいに代わるかも……」

そんな妄想をしていると、めちゃくちゃ楽しい。

自分の人生、他人の人生

映画の内容は、イタリアの貧しい地域から母親とその子供たち(何人かは成人しているように見受けられた)がミラノに居住地を移し、そこでの生活における理想と現実が描写されたもの。

都会の人間と田舎の人間との諍(いさか)いもある。しかし田舎の人間の卑(いや)しい感情も、都会の人間の反感を買ったりもしていて、あながち都会の人間だけに原因があるというわけでもない。ただし、都会の人間は洗練されてはいるが、そこには非情さも内包されているようにも感じる。

演技や脚本などは、白黒時代の映画ということもあり、現代と比べると粗の多さは残る。しかし伝わるものはビンビンと魂に伝わった。

栄光と挫折。
貧困による横柄さ、卑しさ。
怠惰との葛藤。
才能への嫉妬。
堅実であるがゆえの怒り。
優しさと甘やかし、そしてつけ上がり、堕落に凋落(ちょうらく)。

自分の人生も、他人の人生も、いったいどこが分岐点となり、何故ここまで違う道、あるいは違う考えになったのだろうか。

深く考え込んでしまう。

ちょっとしたボタンの掛け違えがあれば、人生は全く違うものになっていたのかもしれない(タクシードライバーでも同じような思いになった)。

ひょっとしたら、中学生のとき、友人の大澤との喧嘩に負けていなければ、ボクシングを始め、そっちのプロになっていたかもしれない。

ひょっとしたら、日本人としては珍しいミドル級で活躍するプロボクサーになっていたかもしれない。

ひょっとしたら、フィットネス中心ではなく選手育成のキックボクシングジムを経営していたかもしれない。

ひょっとしたら、ひょっとしたら、ひょっとしたら……と無限に続く。

当然、運の要素もあるだろう。自分の成功を、すべて自分の実力と過信する者は傲慢だ。しかしながら、傲慢であるがゆえの強さもある。傲慢なら傲慢で構わない。

挫折から立ち直れず、ひねくれてしまう者もいる。自虐的になって同情を集め続けていると、周りも「いつまでウジウジしているのか」とポツポツ離れていくだろう。

すると今度は、他人を攻撃することで自分の存在を認識させ、曲がった形で自尊心を満たすようになってしまう。大変勿体ない。

私は『都合のいい禅』の思想で生きたい。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

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