映画『しゃぼん玉』

林遣都演ずる主人公はひったくりの常習犯だった。
ひょんなことから田舎町で市川悦子演ずる独り暮らしの老人の元に転がり込む。

いろいろと考えさせられた。
これは犯罪者側からの物語で、加害者側からの物語ではない。
ひったくられ、傷つけられた側からしてみたら、「絶対に許せない」という気持ちになるだろう。

「これからの長い人生、逃げながら生きるつもりか?」

という登場人物の1人の言葉が胸に突き刺さる。
犯してしまった罪は、法的には償うことはできても、自分の中には深く事実として刻み込まれる。
一生背負っていかなくてはならないのだ。
自分の中で犯した罪にしっかりと向き合い、犯した罪に対して一生償っていく気持ちを持っていれば、犯人自身の人生は「ある程度」は救われるのかもしれない。

しかしながら、クソなヤツはクソのまま、という前科者の再犯率の高さも犯罪心理学では実証されている。
裁判では反省の弁をたれていても、実は本心は刑が軽くなってほくそ笑んでいる例も多くあるという。
だが、前科者の中にも反省して、素晴らしい人格を手に入れる人もいる。
けっして0ではない。
この主人公はごく稀な例かもしれないが、田舎生活によって人としてのやさしさや思いやりを取り戻していく。

知らなくていいこともある

過去にひったくりにあって心に深い傷を負ったヒロインとの淡く切ない恋は成就せずに終わる。
主人公はヒロインには何も告げずに去っていく。
「事実を正直に話したほうがいいのではないか」と最初は思ったが、映画を観終わったあとは「話さなくてもよかったかな」と考えを改めた。

主人公と出会い心の傷が少し癒えた結果、彼女はまた恋をすることができた。
きっともうそれだけで十分だったのではないか。
彼女自身、これから誰かと恋に落ち結ばれたあとも、時折この主人公のことを時折思い出すこともあるかもしれない。
けれど、その思い出は綺麗なままなのだから、それならそれで良い思い出として残るので良いのではないだろうか。

ところで、昨今の日本の会社では、コンプライアンス遵守という言葉が目立つようになったきた。
これはちゃんと法律を守って経済活動をしますよ、という意味である。
で、あるならば、ちゃんと罪を償って犯罪者が娑婆に出てきたときは、法的には罪を償っているのだから、一般人も前科者も平等に扱わなくてはならないことになる。

コンプライアンス遵守

と、掲げたからには、そのような覚悟も必要になってくる。
企業ははたしてそれをわかっているのだろうか。

うちの会社ですか?
はい、もしこれからスタッフを募集して誰かが面接に来てくれたときには、過去の経歴は採用に影響しません。
今私の目の前にいるその人を見て、その人のこれからの行動を見て、すべてを判断します。

また、会員さんの過去に何があったとしても、私はすべての会員さんと分け隔てなく接します。
JKF(ジャパンキックボクシングフィットネス)に在籍する、すべての会員さんにもそのような接し方を望みます。

ちなみに私もクソみたいな人間でしたが、キックボクシングのおかげでやや脱却することができているかもしれません。
いろいろと迷惑をかけたこともありましたが、今はあまり迷惑をかけず胸を張ってそこそこ楽しく生きております。

なるべく愉快に生きようと心がけているマネジャー佐藤嘉洋と共に歩んでいきませんか?

明るく生こまい
佐藤嘉洋