映画『メガ・シャークvsグレートタイタン』

前作の『メガ・シャークvsメカ・シャーク』があまりに衝撃だったので、なんと続編まで見てしまうことに。
私もさすがはB級映画好きの母の息子である。
その遺伝子は確実に受け継がれているようだ。

今作でメガシャークと対するはグレートタイタン。
原子力で動く巨人だ。

すべてがもうムチャクチャだ。
「そんなわけあるかよ〜」
「雑な作りだな〜」
と、酒でも飲みながらツッコミを入れるのが正しい見方か。

すぐに核を使いたがるアメリカ映画

アメリカ映画の一部は、すぐに核を使いたがる。
当たり前だが、日本への配慮はほとんどない。
でも仕方がない。
これが戦勝国と敗戦国の違いである。
苦渋に苦渋を重ねて核ミサイルを使うかどうかを悩んで決断した邦画の『シン・ゴジラ』における内閣総理大臣役だった大杉漣さんの名演技とは大違いである。

大杉漣さんの遺作で一瞬だけ共演させていただいた

ちょっと困ったら「よし、核を使おう」というノリがアメリカ映画には多い。
他のB級映画には、あまりに安易に核を扱う映画もあり、さすがに途中から気分が悪くなってしまった。
結局途中で観るのを止めてしまった(その映画自体がつまらなかったせいもある)。

日本人も、ヒットラーやフセインなどをネタにして扱うことがある。
欧州や中東の人たちにおいては、この名前を口に出すことすら躊躇してしまうくらい深い悲しみに覆われているのではないか。
歴史を遡れば、ナポレオンや織田信長らによって深い悲しみに包まれた人も過去にはいることだろう。

私自身も何気なくそうやって生きているのだから、アメリカ映画の配慮の無さに対して、一々腹を立てて糾弾する資格はない、と個人的には考えている。
あのような悲劇を二度と起こしてはならない、と声を上げることは大切だけれど……。

嫌なら見なければいいのだ。
実際、日本にはこういった映画はほとんど流通していない(するわけがない)。
たまたま私自身が見つけ、たまたま観てしまっただけだ。

それを除けば、ツッコミどころ満載で面白い。

どうせなら面白い人生に

くだらないB級映画の中にも、面白いものとつまらないものがある。
日常会話にも、面白いものとつまらないものがある。
つまり人生にも、面白いものとつまらないものがある。

やはり、最終的には面白い方が……面白い。
正しいとか間違っているとかは、最終的には別にどうでもいい。
私は面白く生きたい。

しかしながら、

誰かが「面白い」と感じるものは、誰かが「辛い」と感じるものなのかもしれない。
そしてすべてに配慮していたら、何もできなくなる。

それを踏まえて、私は面白く生きたい。
できる範囲の配慮はしながら。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

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