こんにちは。名古屋JKフィットネスマネジャーの佐藤嘉洋です。
名古屋で魔裟斗さんのトークショーがあったので聞きに行ってきました。
係りの人に飛び込みで話をしてみたら、快く会ってくれて嬉しかったです。
2008年に拳を合わせてからもう8年も経つんですねえ……しみじみ。
当時は世紀の日本人頂上決戦として銘打たれ、
K-1MAX史上最高試合とも評価してくれる人もいます。
すべての戦いがいい思い出ですけれど、とりわけこの試合に関しては、本当にいい経験ができました。
この試合のおかげで得たものもたくさんありました。
いつまで昔のこと言ってんだよ
男なら前を向いて生きていけよ
と思われる方もいるかもしれませんが、
すべてを賭けて駆け抜けた現役生活です。
ときには思い出にくらい浸らせてくださいよ。
前だけ見て生きるのは、息が詰まってしまうのです。
あなたには自分だけの大切な思い出、ありますか?
後ろを振り返りながら、左右にも脇目を振り、ときには下をうつむき見て、その中でなるべく前を見据えて生き切ろう
というのが、私のスタンスです。
いまだに週に6日もストイックに身体を鍛えている魔裟斗さんとは、人生の哲学はきっと違うことでしょう。
でも、だからといって、人として相容れない、というわけではありません。
それぞれの違いを認めること。
それが人間関係を潤滑にするのだと信じています。
相互理解の精神を養うことを念頭に生きています。
魔裟斗は恩人!?
【写真・BoutReview】
2001年。
当ジムの親ジムである名古屋JKファクトリーが、ニュージャパンキックボクシング連盟から全日本キックボクシング連盟に移籍した初戦で、私は千葉友浩選手に1RKO勝ちしました。
応援に来てくれていた当時の彼女の顔を見ようと、意気揚々と客席に会いに行くと、会場の後楽園ホールにいた魔裟斗さんを見かけたらしく
「魔裟斗カッコイイ」
と惚れ惚れしていたのに、おおいに嫉妬した思い出があります。
ええ、おおいに嫉妬しました。私もまだ20歳の小僧でしたからね。
また、私がその彼女にフラれるとき、
「あなたは魔裟斗を越えられるわ」
とか慰めにもならない、絶対に当人は覚えていないだろうことを、胸に刻みこんでがんばり続けた思い出もあります(結局負けましたけどね)。
K-1に出場する以前、キックボクシングでは最強と言われていた頃の話です。
「K-1の魔裟斗、キックの佐藤嘉洋」
と、当時の格闘技誌面で、よく称されていました。
しかし、それは狭い狭いキック界の中でのことでしかなくて、世間は佐藤嘉洋なんかマニア以外見向きもしません。
そんなこんなで魔裟斗さんに嫉妬して、私はチョロチョロ噛みつきました。
「ぶんぶん、うるせえハエだ」と魔裟斗さんからは鬱陶しがられました。
私は持ち前のひがみ根性をうまいことプラス転換し、劣等感と執念を持って直接対決までたどり着くことができました。
時流も相まって、K-1の隆盛のおかげでキックボクシングも相乗効果で盛り上がり、私のような職人気質のファイターが、燦々と輝く表舞台に立つことができた。
だからある意味、魔裟斗さんは私にとって
恩人の一人だったのかもしれないなあ
心の底にある感情を認めると……
私ってご存知の通り、生粋のキックオタクじゃないですか。
中学生のころに佐藤孝也vs立嶋篤史を観て感動して以来、自分の試合以外でも、良いカードがあれば東京まで行って観戦するほどのモノ好きです。
アマチュア時代も、プロデビューしてからも、日本ランカーになってからも、世界チャンピオンになってからも、ムエタイのランカーになってからも、K−1に転向してからも、K−1が倒産してからも、引退した今も!!
キックボクシングが好き!
なわけですよ。
無論、魔裟斗さんの動向もずっと追いかけていました。
すべての試合をチェックしていましたし、雑誌のインタビューもくまなく読んでいました。
今回初めてまともに会話を交わして、お互いの近況や家族のことを軽く話しました。
トークショーを聴き終えて車に乗り込んで、音楽は流さずに1人無言で帰る道すがら、自分の中にあった、魔裟斗という人間に対しての劣等感や嫉妬心の奥にある感情を見つけ出しました。
「ああオレって、魔裟斗のこと好きだったんだろうなあ」
なんだか少し、自分の心が楽になった夜。
自分の心を救えた夜。
魔裟斗さん、ありがとう。
あなたのおかげで今の私がいます。
今度改めて一緒に酒でも飲みながら語り合いたいですよ。
ま、このブログ見てないと思うけど(笑)
明るく生こまい
佐藤嘉洋