誰もいなくても

JKFの皆さん、こんにちは。マネジャーの佐藤嘉洋です。
2018年も暮れに近づき、平成最後の年末ということになります。
私は昭和56年生まれですので、昭和と平成、そして来年からの年号の3つの時代に渡って生きることができそうです。

2018年は大勝負の年

私と内装屋さんしか知らない大変なこともあった工事もなんとかオープンには間に合った。

私にとっての2018年は大勝負の年でした。
借金総額2400万円の債務を背負って、JKF池下をオープンさせたのは7月。
爆発的な勢いではないのものの、徐々に会員数も伸び、ここ新瑞橋で培ったノウハウを活かしてとても良い雰囲気になりつつあると感じています。

私は2011年に開業したJKF新瑞橋の雰囲気が大好きなのです。
それをそのまま池下でも同じ雰囲気を作りたかった。
まだ赤字運営ではありますが、定めたルールの範囲内で目の前にいる会員さん1人ひとりに満足していただけるようがんばっていきます。

地道にコツコツ

は、私佐藤嘉洋の真骨頂です。

手を抜いて仕事をしてしまった日

まだ22歳の頃、名古屋市内でトークショーの仕事がありました。
しかし参加者はまばらで10名以下でした。
また、試合映像を流すはずが、運営側のミスでアイドルの歌っている映像が会場に流れて失笑されてしまう始末。
私はすっかりテンションが落ちてしまい、その日のトークショーはやる気を感じさせないものになってしまいました。

後日、ファンレターが送られてきました。
トークショーに来てくれた方でした。

そこには、

「先日はお疲れさまでした。映像トラブルなどがあって大変でしたね。でも、私は嘉洋さんの話が聞きたくてトークショーに行きました。あなたのテンションはいつもとは違う感じでした。だから少し落ち込んだ表情でトークしている嘉洋さんを見るのは辛かったですし、残念でした。こんなこと言ってごめんなさい。私にとってはステージの上にいるあなたがすべてだったんです」

というようなことが綴られていたのです!!

私は大いに反省しました。

本当にその通りだ。

なんてバカなことをやってしまったんだ!!

聴衆が少なくたって、0人ではなかったじゃないか。
少なくとも何人かは、私の話をわざわざ聞きに来てくれたのだ。
私からしてみたら、本当は100人くらいの聴衆に聞いてもらいたかった。
でも、観客席から私を見ている人にとっては、

ステージ上の私がすべてだったのだ!!

運営側のミスなんて、お客さんからしてみたら全く関係のないこと。

ステージにいる私のパフォーマンスは、すべてテメエ(自分)の責任なのである!!

2018年は個人的にも新明解国語辞典を完全読破したメモリアルイヤーでもある。

それに考えてもみろ。
自分がキックボクサーとして新人時代のとき、ガラガラの観客席だったとしても手を抜いただろうか。
そんなことは1ミリもなかったじゃないか。
名古屋からわざわざ東京まで観に来てくれた友達数人のために戦ったじゃないか。

この出来事があってから、講演やトークショーなどで聴衆が少なかったり何らかのトラブルがあったとしても、絶対に手を抜いたりすることはなくなりました。
もちろん人間ですから、色々な理由でテンションが落ちそうなときもあります。
しかしこの若かりし頃のトークショーでの反省を胸に、感情をなるべくコントロールするように心がけています。

誰かが見ている。たとえ0人だっとしても

1人でもそこに人がいるのなら、その人を楽しませたいという気持ちを持ってやっています。
聴衆が0だったとしても、私は本気でやるでしょう。
そこにはステージに立つ私を見ている裏方のスタッフが何人かいるはず。

そして!

もしスタッフもいなくて、私1人しかいなかったとしても、私は本気でやるでしょう。
そこで本気でがんばる姿を見ている人が一人だけいるからです。

それは、自分自身です。

2018年の忘年会は平日開催にも関わらず去年を超える参加者が。2019年は100人を目指そう!

だから私はJKF(ジャパンキックボクシングフィットネス)でも、自分が定めたルールの範囲内で、目の前にいる会員さん1人ひとりに満足していただけるようがんばっていきます。
スタッフにもそれを望んでいます。

ああスッキリした!!

楽しかったなあ!!

と帰っていただけたら、これ以上の幸せはありません。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

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